HOME


 

ゼミ読書課題 高畠新

 

201104

 


『獄中からの手紙』 読書エッセイ

 

 マハトマ・ガンディーは偉大な指導者であり、宗教家である。彼の事績を鑑みる限り、そのことについて疑問をさしはさむ余地は無い。しかし、誰もが信心深いわけでもなく、また特に政治の世界では俗な価値観に傾倒する者も多いであろう中で、ガンディーはなぜ高潔にして敬虔な宗教家であると同時に政治的に多大な影響力を及ぼせる指導者になることができたのだろうかと、私は疑問にも思っていた。この『獄中からの手紙』を通して彼の思想の源流を探り、その答えの一端をつかむことができたのではないかと思う。

 ガンディーの説く理念は、詰まる所「必要以上にモノを得ない、また得ようとしないこと」、「物事にこだわりを持たないこと」「他者に奉仕すること」、この3つにまとめることができる。無論、宗教家としての究極的な目的は真理に至ることであるというのは「獄中からの手紙」の冒頭で語られている通りであるが、そのために必要な道筋として、おおよそ上にあげた3つが挙げられる。彼の語る理念は“至るべき境地はどのようなものか”、また“そのために何が必要か”、“なぜ必要なのか”が順を追って語られており、それについて同意できるか否かはさておき、論理として一本筋の通った、理性的でわかりやすいものとなっている。元々は弁護士として活動していたことからも、彼のこの理性的な性質が伺える。

 ガンディーの本質は、彼自身が語っているとおり政治家ではなく宗教家だ。しかし彼の持つ理性と精神性は「洞窟にでもこもって瞑想三昧の祈りの生活」を送ることを拒否する。彼が非暴力・不服従の運動をはじめとしたインドの独立運動を行ったのは、つまるところ“真理(あるいはアヒンサー)を体現するにはどうするべきか”、そして“そのために何が必要か”を彼なりに論理立てて思考した結果だったのではと思う。こうした観点に立つと、ガンディーの行った種々の活動は正しく彼の語る理念にのっとっている。代表的な非暴力・不服従の運動は正にアヒンサーの項で語られている「盗賊を罰するのではなく赦し」「こちらが耐えることで彼らを正気に立ち返らせる」ための試みであるし、西洋文明や産業化への批判は不盗や無所有、清貧の精神に基づいている。ガンディーの行動は愛や真理の名の下に掲げられる人間性への無私の奉仕を、自分なりに突き詰めた結果の、ヒロイスティックなものではなく極めて理性的なものであったと私は考える。

 「獄中からの手紙」で見て取れるガンディーの理念の特質に、今ひとつ付け加えるのであればそれは寛容=宗教の平等に集約されるだろう。彼は他の宗教――引いては異なる理想や信念に対して、自分の持つ宗教と同様に敬意を払うことを説いている。彼は善悪の区別をない交ぜにして無分別に受け入れるのではなく、むしろ自分の持つ宗教(あるいは宗教に根ざす行為)と同様にその欠陥に敏感になることで、寛容の心を得て宗教の壁を打破し、他社との深い相互理解が得られると考えた。彼は自らの理念を絶えず自省した上で、他者の持つ信念を受け入れることのできる――少なくともそう勤めてきた人物ということであろう。独立運動に沸く激動のインドにおいて、彼のこうした姿勢は政治上の敵味方を問わず多くの尊敬を集め、彼の指導者としての偉業の達成の一因となったのであろうことは想像に難くない。

 


『罪と罰』 読書エッセイ

 

 罪を罪足らしめるものは人間自身の倫理観だ。そして罰を下すのもまた、人間自身の倫理観である。この観点に立つ限りにおいて、ラスコーリニコフは罪人ですらないのではないだろうか。「罪と罰」の第1部、第2部において彼は自分の罪と向き合っていない――或いは向き合うことを避けていると、そのように見受けられる。彼は自分の殺人を、計画段階から事後に至るまで一貫して「あれ」「あの事」などというように自分の胸中の告白においてさえぼかしているし、殺人の後の偏執的な態度や些細なことにも恐怖する様は、自らが犯した殺人への罪悪感というよりもただ事がすべて露見し、逮捕されることをのみ恐れているかのように私には見えた。

 そもそも、ラスコーリニコフは何故殺人を犯すに至ったのだろうか。作品について語る上で恐らく最も重要なテーマの一つではないかと思うが、これについて検討してみたいと思う。作中で描かれている通り彼が安食堂で耳にした「たった一つの死と引きかえに、何千という命を腐敗や崩壊から救う」という論理は、きっかけの一つとしては機能したのかもしれないがラスコーリニコフ自身の価値観と照らし合わせても、これが主たる動機として彼の殺人を後押ししたようには思えない。ラスコーリニコフは、家族の為に娼婦に身をやつしたソーニャに同情し、また自分の為に妹が不幸な(少なくともラスコーリニコフが考える限りでは)結婚に臨もうとすることに対して怒りを覚える、そんな人間である。こうした例から彼の価値観を類推すれば、誰かの為に別の誰かを犠牲にするという論理は彼の中で受け容れがたいものだろうと考えられるし、或いは身内だけは別だという考えを持っていたとしても、それならば顔も知らぬ「何千という命」の為に多大なるリスクを犯したりしないだろう。また単純に金銭目的の強盗ということもまた考えにくい。殺害の後ラスコーリニコフは現金などを殆ど持ち出していないし、そのことについてその後もさして気にした様子は無い。

 恐らくだが、論理立てて説明できる動機は彼の中に存在していなかったのではないかと、私は考える。強いて言うなら、現代の日本社会でも時折見られるような、貧困や孤独などから来る閉塞感や、自堕落で病的な生活全体に満ちる絶望感や自己嫌悪が、彼をこの凶行に走らせたのではないかと考える。それ故に覚束ないながらも掲げることができるような理屈であった「一つの死で何千という命を救う」という理論も、意図していなかったリザヴェータの殺害により崩壊し、矛盾を抱えてしまったからこそ、後の彼の病的な態度に繋がったのではないだろうか、とも。

 第1巻の終盤において、ラスコーリニコフは元役人のマルメラードフの死を通じて、幾らかの理性を取り戻す。これを契機にもしも彼が真に自分の行いと向き合うことができたのならば、その時こそ彼は罪人として、自らの倫理によって罰を下されることができるようになるだろう。

 

 


『風が強く吹いている』 読書エッセイ

 

スポーツに長く関わっていると、才能の壁と言うものを実感する機会が何度もある。そうでない人々であっても、テレビをつければプロスポーツ選手と言う選ばれた一握りの天才たちが切磋琢磨する様を簡単に目にすることができるだろう。「努力は才能を凌駕する」という言葉は、ことスポーツの世界においては残念ながら正確ではないということを、私たちは彼らの姿を通じて、或いは人によっては自らの経験として知ってしまっている。だからこそ、私たちは自らには決して到達し得ない域にいる天才たちに畏怖と憧憬を抱き、また凡人の努力が才能の壁を打ち破るカタルシスを時に物語の中に求めるのだ。

 『風が強く吹いている』の劇中においても、この原則は厳然と幅を利かせている。いくら努力しても越えられない壁、という、その存在そのものを否定するものは劇中に誰ひとりとして存在しないし、外部から素人集団と揶揄されることもあったアオタケの面々でさえ、清瀬によって才能を見出された者達だ(曰く、「君たちには素質がある」)。無論、才能が有るといってもそれは、悪い言い方かもしれないが「数ヶ月不断の努力を続ければ箱根駅伝に出場できる」程度のものであり、彼らの視点や、競技者としての到達点はトップアスリートのそれとは異なり、むしろ私たちに近い。彼らは自分たちがトップに立てないことを理解しており、それ故に自分たちに手が届く範囲の目標を定め、箱根駅伝を目指す。

なので彼らは自分たちが走る意義を少なくともトップをとること、只管にタイムを縮めることに見出してはいない。では彼らの走る意義とは何だったのか。アオタケの面々で、明確にそれを自覚していた者は居ない。しかし彼らは自らの努力によって自らが定めていた限界をほんの少しだけ踏み越えることで、自分では決して到達できない高みを本当の意味で理解した。それを受け入れることで、彼らはただ結果を出すという、垂直的な言わば「速さ」の追求から脱却し、「強さ」の追求という水平的な広がりを持つに至った。箱根に向けて積み重ねてきた努力、交わってきた人々、仲間たちとの共通体験、時には揺らぎ、折れそうにもなった自身の精神。こうしたものを纏めて包み込み、肯定し、そして体現するしなやかな価値観を得るに至ったことは、彼らにとって正に得難い勝利=「強さ」であっただろうと思う。

 一方で、ただ「速さ」を求め、順位の上での勝利を求める価値観もまた、同様に尊重されるべきものだと私は思う。顔も名前も人格も互いに知らぬ者たちが、同じ方向を向き、同じ目的の為に争う。才能と努力、運やコンディションも含めたあらゆる要素を絡め、競技者としてその瞬間に最も優れた存在としての地位をめぐり競い合う。こうした姿もまたスポーツの在るべき姿の一つだと思うからだ。こうした価値観の象徴としては東体大の榊がやや批判的に描かれているが、個人的には最も感情移入できた登場人物の一人だ。もちろん彼が寛政大の面々に向けた言動や行いは決して褒められたものではないが、彼の楽しみたいものは楽しめばいい、と切り捨てた上で「楽しむ必要などない」、「弱い奴に合わせて堕落するのはごめんだ」と断じる苛烈さは修行僧に喩えられる藤岡とはまた別の意味で、一種宗教的ですらある。ただ彼の不幸は、この価値観が普遍的である――少なくとも優れた選手の間には共通の理念であると、そう誤認していたことだろう。それゆえに彼は蔵原走に反目する。もしも走が、高校でただ陸上を辞めただけであれば、榊は走の行状を苦々しく思ったり、その才能を棒に振ることを勿体なく思う程度だったろう。或いは走が選手復帰を果たした場所が、強豪校と呼ばれる場所であったのなら、好敵手として闘志を燃やしもしたかもしれない。しかし実際には、走は弱小部で素人たちと共に選手としての復帰を果たした。ストイックな、しかし狭い価値観の中に生きる榊にとって、これは自分たちへの冒涜であると解釈してしまうのは無理からぬことだったのかもしれない。凝り固まった観念を持つ榊と、走をはじめとした寛政大の面々は結局最後まで相容れなかったが、せめて彼を理解し、受け容れる誰かがこの先現れてくれることを、個人的には望むばかりだ。